2011/8/12

雑感

疏水の向こうには

私が住む場所は大阪のかなり外れ。少し歩くとそこはもう京都です。
電車で数駅行くと、京都独特の文化や美しい町並みに触れ、新鮮な気持ちになります。
神戸生まれの私にとっては、京都という土地は同じ関西でも観光気分なんです。

疏水という人工の川の存在を知ったのも最近のことです。
流れは静かで殆ど波はなく、低い京都の家々になじんでいます。
昔の方はこの水を生活水路として活用されていたのでしょうか。

この疏水を眺めながら少し歩いたところに、おじいちゃんの病院がありました。
夏の初め、せっせと通い、祈り、励まし、あきらめ、希望を持ち、泣いて、
色んな感情が追いつく暇もなく、おじいちゃんは召されました。
最後まで、痛いとも苦しいとも言わず、家族の心配をして。

「看取る」という初めての経験。
命が終わる瞬間を目の当たりにし、 いつしか自分もその日が来るということを
初めて覚悟したような気がします。
「生」と「死」は紙一重。

先週、別の疏水で行われた灯籠流しに参加しました。
供養という行為を持って、送る方の気持ちも徐々に浄化されるんだと思います。

そして、今年は初盆です。
宗教について興味も理解もない私ですが、その心はここにあると思いたい。

 

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